自分の底の底の底までを見つめたとき
過去が許せないなんてことはそもそもないんだ
自然と共に生きるってことは野性の思考で生きるということ
獲物を仕留め損ねた獣が「あぁ~こないだ仕留め損ねた」って反省なんかしないしそんな過去が許せないなんてことはない
だから今までに感じてた憤りも野性の思考(人だけの都合でつくりあげたものではないもの)の視座で見たら過去を許せない(自分のことも他人のことも起こったことさえも)なんてものはないんじゃないかなって思う
原発も第二次世界大戦も本能寺の変もそこを許せない、怒りや憤りを感じてそのままで動いていたらなんも解決なんかしないんじゃないか
それは自分自身にもそう
憤りも怒りも許してあげたり癒すってこともただカルマを現世や過去世、野性の思考から外れた生き方で負っただけだからただ人よりの都合だけの生き方から抜けたら勝手にそこのカルマも解消されるんじゃないかな
そうするとヒーリングとかもいらないしむしろみんなそういう癒す人になってる(笑)
自分の人生に自分のアイデンティティーを求めてるだけじゃなんもアイデンティティーなんか確立していかないしいつまで経っても自立していかない
実は今日福島から山形に帰って来ました!
猫を膝に乗せながら帰って来たことを実感しながら明日26歳になるんだなと感じてたら沸いてきました
今までの25年間の許せなかったこと
生まれてきたことに対しての人としての罪悪感が少し晴れました
幸せな一時をありがとう