なにをする時も
概念化しない世界ってどんな世界だろう
水とか服とか言葉にしていない世界
概念化することでより複雑になった
原始人は「ああ」「うう」とかでコミュニケーションをとってそれで生活が成り立っていた
けれどその単純な概念化の世界では単純なことしか受け取れなかった
愛や友情や憎しみや悲しみや美しさなど
それが複雑化したことによってその受けとるものや感じることがより深みを増した
だから概念化して複雑になったのはより愛を深めて理解することだし何一つ間違った方に進んではいない
概念化したものをもっともっと知りたい
奥底になにがあるのか
その先には今見てきた美しさじゃないものがあると思うんだよね
じゃなきゃみんなで手を繋ごうとか世界平和なんて思わないと思う
そこには現実立ち向かう人類としての蓄積や抱えているものと対峙するから
対峙した時複雑なものが現れてくる
けれどこれすらも本当は単純なのかもしれない
正確には言葉にするのは単純な言葉だけどそれを世界規模や宇宙規模で今生きている3次元に表すには複雑だという俺の考え
例えると夢を描くのはいくらでも描けるけれどそれをじっさいに叶えるには複雑なことを乗り越えていくことがあるよって感じ
俺の夢は大きい
だからこそより難題に取り組まされてる
嫌と思うほど自分を見るしさらけ出す
そして自分の中にある人類としてのモノと向き合う
一般的に嫌なモノだけではなくワクワクすることもね:-)
最近夢の先のことを考え始めた
なんで俺はこの夢を描いたんだろう
夢を描いたのはなぜ
その夢の先はなに
夢はこう言った
あなたがあなたを生きるためにある
そのあとはまだまだわからないモヤモヤのまま
がむしゃらにいる間にわかってくるだろう
探し続けるだけ
人生旅である
生きることも
死ぬことも
死んだあとも
生まれるときも