いつも命懸けだから感じたサンタクロースプロジェクト!
いつも命懸けだから感じたサンタクロースプロジェクト!
山形も雪が降って毎日山に入っている中で今までより命を懸けることを肌で感じています
雪で滑っていつ谷底に落ちるかもわからない
生身でいるから熊にあってもどうしようもない時はどうしようもない
雪が降る前までは車で入ってたから感じにくかった外との肌合い
死が身近になり生きるということがハッキリしてくる
未来のために命を使おうとしてる今決して死ぬわけにはいかない
だけどいつ死ぬかわからない
それが自然と生きるということだと思うし地球と生きるということだと思うし命を生きるということだと思う
そしてそれを毎日感じられる環境にいることが有難いし
それを感じにくくなってる社会が今だからその社会を否定せずもっとおもしろくすべての命が幸せに命を全うできるように自分の命を全うしよう
もう世の中ギリギリなんだと話を聞いたり学んだり出張で各地に行き自分の目で感じてもそう思う
たかだか25歳のくそたれボーズがこんなこと言ってるんだからもっと世の中の人が気づいたって良いと思うんだ
気づいたなら実践できる場をつくるから一緒につくっていこうや!
未来に胸張って残せるもの残そうや!
クリスマスに個人のプレゼント頼むなら未来の子どもたちに送れるプレゼントを今の俺らがつくらなくてどうするの
これが本当のサンタクロースでしょ!
それは大人の役割なんじゃないのかな
素敵なプレゼントをクリスマスだけじゃなくてずっとずっとこの先もあげ続けることができるかどうかはホント今が瀬戸際
サンタさんになるのは一人ひとりだよ!
世代=パソコンのハードみたいなもの
それぞれの世代で特色がある
俺はちょうどゆとり世代
上の方は団塊世代
などなどそれぞれの年代によって時代が違うし時代がつくられてるわけですよ
んでその世代同士で価値観が合わないってこと多々ありますよね(笑)
今の若者は。。。とか
ジェネレーションギャップを感じてるわけですよ
そりゃそうだ(笑)
違うんだもんw
そのまま受け入れたらいいんだよ!
違うものは違うって
じゃないと受け入れないで拒否してしまったらその人自身も拒否しかねない
そんなの自分の可能性も相手の可能性も狭めてるからもったいない
そりゃ理解できるスピードも違うよ
俺ら若者は最新のパソコン
上の世代になるにつれてバージョンが古くなるから新しいソフト入れようと思ったって蓄積してるものがあるから容量も違うしスペックも違うわけ
そりゃ入るスピードも違うわ
だけどだけど年上の世代だからこそ活用できるものがたくさんある
蓄積したものの中にはパソコンの中に染み込んだものがあるから要らないものは捨てれば軽くなる
軽くなったら容量に空きがあるからまた新しいこともすんなり入ってくるさ
そこを踏み越えれるかが魅素だけどね
逆に若者はそこの蓄積したものがないから死に物狂いで勝ち取ってきた上の世代には敵わない部分がたくさんあるから若いうちに潰されまくって破壊されまくって大きく強くなればいいだけ
なんも恐れないで実験とか遊びだと思って向かえばいいのさ
ってことで近々何か破壊しまーす(笑)
いつも破壊し続けて生まれ続けている想い
「うわー!生まれてきて良かった\(^o^)/」
と過去も現在も未来の人や動物や自然や物すべての命がそう思える世界を俺が観たいしこれからの子どもたちが夢を描けるようにしたいから
そのために命を使うから
なにか気づいて欲しいから愛を込めて伝える
地球や日本が取り戻せない崩壊まで後少しなんだ
台風も地震も津波も人工的に起こせるし、自然発生だと思ってた災害も人工的に起こされてないものでも人が工場や利益の為に追求した結果という人災であったことも今まで学んできた教育の裏側、それに付随した国の成り立ち、そしてこれから世界がどう進んでいくのかということを踏まえて自分の目で見た今回の熊野、四日市、名古屋と出張だけでも周り目の当たりにした現実
人の業がそうさせていったのか
人の弱さがそうさせていったのか
利益だけを求めるグローバル資本主義社会
なにかを得る為になにかを棄てている
棄てたものがどうなるかも分かった上で棄ててその結果を知らせずにいる
その結果として自然崩壊が起き自然崩壊が起きるから今世界的に問題とされている問題が大きくなり手のつけられない崩壊一歩手前まで来ている
戦争や飢饉、テロ、病気などの人が悲しむものはもちろんこれだと自然や地球がかわいそう
せっかく人に住む場所も食べるものもすべて与えてくれてるのにそれをただ搾取するだけで地球になにも返そうとしていない
人はなんのために生まれていてなんのために地球にいるのか
自然や動物は地球のシステムという循環のサイクルに入ってるが人は入っているのか
今人だけが利益を求めてる世界を見て愕然とする
人が人の為にしてるのはもちろん大切だしそこがあった方が自然や地球に向けて動きやすくなる
だけど人が人の為にしてるのをそこのゾーンだけでしか見てないものだと今のグローバル資本主義社会になってしまってたくさんの問題が現に起きている
だから自然のシステムで社会を創り上げることが大切
そして自然のシステムなら今まで少なからずとも何千年も続いてるんだからここを回復していけばそう簡単には崩れない
今を見たら崩れるものばかり
ビルや株や人間関係やそれらのことでみんな悩んでる
もうその悩みを未来に引き継がせたくない
小さい子どもと関わったりしてもこの子たちにちゃんとしたものを残したいってなる
80代に告ぐ
あとは死ぬだけなんだからどう死にたいか表現して花火のようになれ
70代に告ぐ
安定の死を選ぶんじゃなくてまだまだ今の年寄りは動くんだから頑固なりに伝えれるものを考えて動け
60代に告ぐ
社会を創り上げてる力のある世代
その力をどう方向に使うのかそしてどう伝えていくのかが大切だ
若者は頼りにしてる
50代に告ぐ
しごとバリバリで来た世代
今こそ柔軟に思考して経験を活かす時
そのあなたしかない経験は大切な宝物
40代に告ぐ
もっと気張らないと何も残せないよ
ここで本気にならんと最後までずるずるいってしまうよ
上の世代との架け橋になってよ
30代に告ぐ
これからのリーダーとして引っ張っていく背中を見せてくれ
自分のスタイルが見え始めて動いてる
20代に告ぐ
俺ら20代がやらないと世界が変わらないんだよ
今本気でなにが実時間で世界のためであり自分のためであるか見極めて今を生きる世代
もちろん我武者羅にやるんだよ
経験もないしだから説得力もないしだけど夢と希望が溢れてる体力もあるそんな俺らが未来を見つめなかったら世界は変わらないんだよ
誰かがやってくれるわけじゃない俺らがやるんだよ
今までの社会をつくってきた上の世代にも文句は腐るほどある
ゆとり世代って言われてるのは今までの上の世代がつくってきたものだ
その尻拭いを俺らが悪いなんて言うのはほんとにクソ
けどおれらはそのうんこをうんこにしないでトイレにするぐらいのことをする
けどうんこのままの社会じゃうんこにしかならないからまず目を覚ませよってこと
そこの音頭は俺がとりたい
誰もいないなら自分が背負う
わっしょいってこういうことの意味もあると思う
俺は上の世代が残してきたものも背負いたい
誰かやらなくても俺はやる
やりたいからやる
それ以上でもそれ以下でもない
自分の弱さを噛み締めながら一歩ずつ進んでいこう
そしてどの世代から憧れるような人であろう
けど1人で遊ぶのはつまらないからみんなも遊ぼう
俺はみんなと遊びたいから
そんな世界をつくりたい
そして10代や未来の人に告ぐ
みんなが幸せになれる世界をつくっていくから一緒に楽しく一杯やろう!
こんな偉そうに書く俺はなんなんだ(笑)
最近は今までの夢だけを描いてただ追い求めていた自分と現実と向き合って学んでる自分がやっと混じり合って伊藤駿を生きようとしてる
それは同時に自分の命じゃないところを生きようとしてるんだなと
だから今死んだとしたら俺はそこまでの人だし
もし死ななかったらまだまだやることがあるんだなということ
ようやく現実を生き始めてきた
ファンタジーも生きてるし現実も生きる
どちらも生きよう
人は夢であり愛であり人である
右脳左脳ミックス間脳ルフ回転虹色ボンバー(笑)
つい最近ブログをはじめて上がることもあれば落ち込むことも多々あるわけです(笑)
女性をいかせるとかリードするという時点で頑張ってる感がダサいと言われ
あぁ本当にそうだ〜と改めさせてもらいました
もちろん勃たせるところは勃たせ
いかせるところはいかせるんですけど
頑張ってる時点で
ダサい(笑)
ということが腑に落ちましたw
なのでそんな自分感謝してポイッて脱皮します!
そもそも性別が違う時点で持っているものとか違うから別に頑張らなくてもすでにあるんだって気づくだけでいいんだなと感じました
男性は男性を生きていれば勝手に女性をいかせる(幸せになるためのプロデュース)をしているだろうし
女性は女性を生きていれば男性を勝手に勃たせている(大切なものを護るためのエネルギー源)だと思います
これは別に100を言っているわけじゃなくてそういうことがあるんじゃないかという自分の中の想像です
(破壊してくるために自分のまま出しているので破壊しに来てください!)
頑張ってもなるけれどそもそも頑張るものではないというのがこの記事で言いたいことです
そのために必要なことがここ最近記事で書いたことです
男性は自分以外の大切なものを見つけた時
女性は自分を大切にすることを見つけた時
そこから自分を生きた時にお互いがお互いを飛躍させることができるパートナーとなるんじゃないかと俺は最近の記事でコメントしてくれる方の愛や彼女の瞳と付き合っていて思ったことです
そして俺自身はもう右とか左とか理論とか感覚とかの二項対立じゃなくて自分どっかーーーん\(^o^)/
っていう自分のあるまましたいままに生きていくしかないんだなと自分の中に腑に落ちました!
もうそのままでいいんだよって今まで自分がわかっていたつもりのところからとは違うところから今なら言えます
何一つがんばらなくていい
ってスタートラインに立ったらあなたは何を想像しますか?
おれがこの破壊と想像ブログで伝えたいことでもある!
今の自分がそのままでどんなんであってもいいってなったらどんなことを自分は想像するだろう
それが誰かが嫌な思いをするならば破壊されるだろうしその嫌な思いってのでさえも包み込んでしまうものかもしれないし
想像を創造してみないとどうなるかはわかりません
だからこそ楽しいし
だからこそおれは虹のようにいろんな色、個性があってそれが重なる景色を見たいし自分もそうでありたい
そして未来の子どもたちに目に見える虹はもちろん一人ひとりがありのまま自分を生きていいんだと思える世界をつくっていきたい
俺がなんでも想像していいとしたらこんなことを創造する
世界に絶望しているし
絶望してるからここにいられる
だから愛してるって大切な気持ちが出てきた
あぁこの記事や前の記事書いててよかったなぁってのとこれに対して接してくれてるすべてに愛をものすごく感じます
今日も感謝
なにをおもってみるの?
なにをおもって見るの?
最近は時間があるとウルフの小屋に足を運んでいる自分がいる
ここにはたくさんアニマルスタッフがいるけどこの子が1番心が通っている感覚がある勝手にw
もう一頭のウルフに手袋を取られて取り返そうとした時もこの子がイタズラしたウルフを叱って助けてくれた
そのあとずっとこっちを見てなにも言わず体を寄せてくる
この子と会話はないけど心でいつも話しているような感じがする
ただこの子たちは存在しているのではないことをひしひしと感じさせてくれる
一つの命として向き合っているこの子たちが好きだ
愛おしい
俺も四つ脚になりこの子たちと同じ目線で世界を眺めてみたい
ゆくゆくは火だったり海や風や太陽と同じ目線で世界を宇宙を眺めて生きていたい
どんな下ネタなら太陽はノッてくれるだろう(笑)
彗星になって自分のカケラを流れ星に変えたり寿命が来る瞬間は超新星爆発のように「俺の命だーーーーー!」ってなってたい
こんなことを感じている瞬間が好きで好きでたまらない
自分を見た時にもこういうことを感じてる瞬間ニヤけるし外を見た時に感じ瞬間もニヤける(笑)
自分の命ってなんなんだろうってこうなんじゃないかああなんじゃないか好奇心と探究心で想像が膨らむ
そして現実でどうそこを感じるか毎日破壊と想像の繰り返し
ぶっ壊してぶっ壊してぶっ壊して
想像して創造して重ねるように想像して創造する
頭の中が宇宙そのものだっていうこの文字じゃ伝わらない喜び
そしてまだまだ先がある喜び
伝えたいことが入ってこないとか何を言いたいとかわからないとか言われるけどだって頭の中ですぐ破壊と想像が起きてるんだもん
俺だって追っつかないんだよ
まとめて言葉にしていくのはこれからやる
読み返して自分でハッとするだろうw
俺がそれで良いって言うんだから良いの
だから何を言われたって受け止めて入ってくるしそこでどう返すかはその時じゃないとわからないのは当たり前でどう感じてくれるだろうと思って書いてるけどそう思って書いてない
両方を思っているっていう真ん中から書いてる
だから両方受け取れる
そして両方とも嬉しい
だからウルフがイタズラしてきて服が泥だらけになることや手袋を取られて戯れてるのもイタズラしてる子を叱って助けてくれるのも素直に身体を寄り添ってくるのも全部ぜんぶ嬉しい
あぁなんて今が幸せなんだろう
この環境に居させてくれるすべてのものたちへ
感謝でしかないです
ありがとう
女性は男性を勃たせる前に。。。男性は女性をイカせる前に。。。
昨日
女性は男性を勃たせ、男性は女性をイカせる
という記事を書いたがそもそもここに至るまでのことを書くのを忘れてしまったことに気がついた(笑)
もちろん俺はまだまだ発展途上でしかなくて人生すべて勉強ですからなんとでも言われていいんですよ
前の記事にコメントあって普通に嬉しかった!
隠せないから伝えたくてここに書いちゃいます(笑)
余談はこんな感じで
ここからが本題ですね!
まずは勃たせる前のいかせる前の準備がそれぞれに必要だということ
そしてそこには答えはないし結果はもちろんあるけれどそこに至るまでのプロセスがあるから相手に惚れ込んでいるっていうこと
結果だけ求めたら辛いわけですよ
それは男女共にそうですが女性は共感の生き物なので男性はそこを受容できるかが重要
受容が重要‼︎笑
そこが男の器だと思います
自分の背中にたくさんのものを背負って言葉で表現するのではなく背中で表現する
だから俺も言葉で表現してるからまだまだなんです(笑)
(今は自分の内側を言葉で表現する練習をすることが大切だからやっています。それは今まで繋がった人ともう一度繋がりたいのとこれから出逢う人と深く繋がりたいからです)
個人的にですが背負ってることすら感じさせない笑顔で旗を振っている生き様は俺はすごくかっこいいと思うし俺の目指すところでもあります
それを俺はピエロと呼びます
男性は女性や子ども周りの仲間を背負い込めるだけの器が求められるってことです
そしてそれは挑戦をしていくことでも器は広がります
わかっている場所に居続けるのはもったいない
女性はしたくてもできないことがあってせっかく男にとして生まれて男にしか出来ないことが山ほどあるんだからそれをしたらいいと思う
男が男性性を無くしたら女性が幸せになれない
簡単に言えばインポだっていうこと
女性が勃たせようとしても勃たないなんて悲しいことはない
だから男性は抱えて引っ張っていけるような器が必要だと思う
そしたら女性は勃たせる前にどんなことが必要なんだろう
たくさんある中で今一つあげるとしたら自分の存在の尊さ
女性は新たな命を産み出すことができる存在だということ
命を産み出すことがどれだけ尊いものなのか
その行為は愛でしかない
女性の生き様そのものが愛なのだ
これは男性にはできないことである
男性は自ずと女性を大切にしたくなる
愛は引力でもあるから
産み出すことに関して男が逆立ちしたって圧倒的に敵わないことだ
けどたくさんの女性がいる中で求められる人と求められない人がいる
区別はできないがあえて区別するならそれは愛にも深さや広さ様々な段階があるからだと思う
自分だけ良ければいいと思ってる女性に対しては見た目が好みであれば寄ってくる男性はいるが長くいれば愛がないと気づきそのうち離れていく
男性も女性もだが自分磨きは自分のためでもあるが自分磨きって自分(内側の宇宙)というミクロと世界という(外側の宇宙)マクロが統一されてることをわかった上でしないとただただ外からの要望に応えようとしているための自分磨きにしかならないから苦しく辛くなる
それをがんばってるとか壁にぶち当たってる時点でその壁の認識を改める必要があると思う
毎瞬間その壁も苦しみも再定義してたら本当は壁じゃないことも気付くだろうしもし壁だとしても違う角度から見たら薄っぺらな壁なのかわかるかもしれない
自分のためももちろんだが長ーい話をすれば7代先の子どものためにってことや広い世界の中に住んでいることから見た時に今自分を磨くってことを考えて意識したら俺は自分の苦しみを乗り越えられる
そのために今この身体があってこのいわゆる苦しみと呼ばれるものが来るだけなんだなって思うし
みんなそれぞれ一生懸命生きてるのは知ってる
それを知った上で今自分だけに一生懸命なの?この命なんのために使うの?理想を見たなら現実見てみなよ
そしたらお互い歩み寄れるし愛し合えると思う
ここまで来ると壮大すぎるかもしれないけど大きさは関係ない
大きさなんてものもないのかもしれない
すべてそこにあるけどない
勃たせたりいかせたりする前にまずは自分を自分で勃たせたりいかせたりしてごらん
そしたらオナニーの意味も変わってくると思うし
まずはそこから
オナニーじゃなく自分とセックスしてくんだよ
女性は男性を勃たせ、男性は女性をいかせる
これはセックスの話であり
セックスだけの話ではない
男として
女として
そうであったら良いと思う
セックスだって男を勃たせるところからはじまる
男を勃たせれる女性じゃなきゃそもそもお話にならない
そんな女性はまだまだ自分磨きが足りないし
まずそれをすることが自分を幸せにすることを認識すらしていない
それがどれほど重要なことなのかもわかっていない
認識すらしていないのであればセックスをはじめるまえにそこからやっていかなければならない
勃たせたら今度は男の番
男は女性をいかせることができなければちんこが勃つ意味がない
ただいきり立ってるだけのうどの大木である
そしてそれで男は先に果ててはならぬのだ
射精しそうになるのも我慢して女性をいかせるのだ
もし果てたとしてもそれをカバーできるようなテクニックが無ければお互い満足の得る結果にはならなくてあいつとのセックスは気持ちよかったけどそうでもなかったっていう記憶にしか残らない
せっかくセックスするのであればお互い最高だったと燃えるセックスが良いに決まってる
これは全部日常で関わることすべてと繋がる
関わる時はすべてセックス
(男同士のセックスはしたことないから男同士のことはここまで言い切ることはできないがコミュニケーションだから近いものはあると思う。人を愛するという点では一緒のことだから)
相手の肌合いを感じ
相手を思いやり自分が動く
それは何回もしているうちにだんだんとわかっていくものである
周りを見ているとパートナーがいない女性は自分が幸せになりたいからと私が私がと我のことを先に出してくるが男性はそんな女性には魅力をあまり感じないからその女性を幸せにしようとはしない
むしろ男性を手のひらで転がすぐらいの感じで過ごしてる人に俺は魅力を感じる
自分の器を大きくしてくれる女性に惹かれるのだ
逆にパートナーがいない男性は女性をいかせようとしない人である
どういうことかというと女性の期待を越えられないことだと思う
例えばプレゼントをあげるときでもプレゼントをあげるという観点だけで見ては勿体無いすぎる
そんなんでは女性はいかない
プレゼントをあげる前からあげた時のギャップを生むために伏線を張りシュチュエーションを用意しプレゼントにもプラスαするのである
それを自然に当たり前のようにサラっとやってしまうのが良い
そうやっていくと毎度のプレッシャーや色々あるが男はでかい獲物へ向かっていってこそ男だ
それを勝ち取るところに美学があると思う
その挑戦を男は忘れてはいけないところである
けれど男は不器用だ(笑)
そこまで行くのには数々の苦い良薬を飲まないと気づかないほど不器用でアホでそして単純である
だから女性自身が幸せになりたいのならば男性の器を大きく育てるような女性になったら女性も幸せになるし男性も幸せになって世界が幸せになると私は思う。